2017.08.14
錦木塚の伝説
千数百年前、都から来た狭名大夫が錦木あたりを治めていましたが、その八代目の
大海に狭布の細布を織るのが上手な美しい娘、政子がいました。
その頃、草木の里に錦木を売るのを生業としている若者がいました。
そして、ある日、若者は赤森の市で偶然出会った政子に一目惚れします。
当時、男は女を妻にしたいと思うと、その女の家の前に錦木をたて、それを女が
家の中に取り入れると嫁いでもいいという習わしがありました。
そこで、若者は錦木を恋した政子の家の前に立てます。
若者は、雨の日も、大嵐の日も、吹雪の日も毎日立て続けます。
政子はそんな様子を見て若者に好意を抱くようになりましたが、父、大海が
身分の違いを理由に反対された為、錦木は家の中に取り入れられることは
ありませんでした。
そのことを知らない若者は、あと一日で錦木が千束になるという日、政子の
家の前で降り積もる雪の中、帰らぬ人となってしまったのです。
それを知った政子も嘆き悲しみ、若者のあとを追いこの世を去ります。
事情を知った大海は二人の悲恋を哀れに思い、若者の亡骸を貰い受け、
千束の錦木とともに夫婦として一緒の墓に葬ったのでした。
その墓が「錦木塚」と呼ばれて今に伝えられているのです。
この「錦木」の話は、平安時代後期に歌枕として読まれていましたが、
室町時代になって、能の創始者である観阿弥の子、世阿弥によって
謡曲「錦木」として広く世に広まることとなりました。
また、母方の祖先を鹿角市毛馬内に持つ「石川啄木」も、この話を
金田一京助から聞き、錦木塚を訪れ「鹿角の国を懐う歌」をつくっています。
錦木塚は 綺麗に整備されていますが
来満さまは ここに「能舞台」を建てたいと思う
政子と若者を忍ぶ謡曲「錦木」を永久に伝える舞台として
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